この記事は、医師である父が書きます。
我が家に生まれた大切な娘。その小さな命が歩んできた道のりは、私たち家族にとって、決して平坦なものではありませんでした。生まれて翌日に十二指腸の手術を乗り越えてた娘ですが、その手術の際、医師からある指摘を受けました。
「喉頭に異常がみられます」
その言葉とともに、娘の気道には気管挿管チューブが入れられ、自力での呼吸をサポートする管理が必要となりました。主治医からの説明は、「体重が3kgになれば、チューブを抜く(抜管する)ことができるだろう」というものでした。
目標の3kgを目指した、2ヶ月の入院生活
目標の3kgを目指し、そこから約2ヶ月間、経管栄養で栄養を摂りながら、気管挿管を続けたままの入院治療が始まりました。私たちは毎日のように病室へ足を運びました。まだ生まれたばかりなのに、口元に手がいかないよう、挿管チューブを抜いてしまわないようにと、両手を固定されている娘。その姿を見るのは、親として本当に胸が締め付けられるほど辛く、代われるものなら代わってあげたいと毎日祈るような気持ちでした。
しかし、そんな私たちの心を救ってくれたのは、誰あろう娘自身でした。手が固定されている不自由な状態でも、娘はそれを力いっぱい動かそうと、一生懸命に生きるエネルギーを全身で示してくれていたのです。ベッドの上で必死に格闘する娘の姿に、私たち親の方が、毎日たくさんの勇気と力をもらっていました。
期待から一転、突きつけられた「再挿管」の現実
そして、手術からおよそ2ヶ月が経った日。
ついに娘の体重が目標の3kgに達し、待ち望んでいた抜管の日を迎えることになりました。
「やっと、この日が来た」「これで手術も乗り越えたし、他のお子さんと同じような普通の生活が取り戻せるかもしれない」
私は当時、すでに育休期間を終えて仕事に戻っていました。期待と祈りを胸に抱きながら職場で働いていた私のもとへ、病院で結果を聞いてくれた妻から連絡が入りました。
しかし、画面に映し出されたのは、あまりにも残酷な文面でした。
「だめだったみたい。再挿管になった」
その文字を見た瞬間、目の前が真っ暗になり、深い絶絶望感が押し寄せてきました。
やっと暗闇から抜け出せる、普通の生活に戻れると信じていたのに、現実にはまだ何一つ問題が解決していなかったのだと突きつけられたからです。その後、主治医から提示された方針は、
「気管切開を行う必要があると考えている」
というものでした。
医師だからこそ、知りすぎていた「気管切開」の重さ
この言葉は、私たち夫婦にとって、あまりにも重く、受け入れがたいものでした。なぜなら、医療現場で働く私にとって、気管切開がどれほど生活の質(QOL)に大きな影響を与えるかを、知識としても、経験としても知りすぎていたからです。
気管切開をすれば、口や鼻で呼吸をすることができなくなります。人工呼吸器が必要になります。そして何より、声が出なくなるため、言葉でのコミュニケーションができなくなります。
実際の医療現場で、高齢になって気管切開を余儀なくされ、お話ができなくなっている患者さんを見るたび、私は一人の医療従事者として無力感や切なさを感じることがありました。それを、まだ生まれたばかりの、これから言葉を覚えていく我が子に施さなければならない。その現実を前に、私は激しく苦悩しました。
「本当に、他に道はないのだろうか」
娘の病気である「喉頭軟化症」、について、私は必死になって医学論文を読み漁りました。しかし、非常に専門性が高く、個別性の強い狭い領域であるため、万人に当てはまる標準的な治療法は簡単には見つかりません。「内視鏡のレーザー治療で気管切開を避けられた」という事例を見つけては、今の治療方針に対する大きな不安と不信感が心の中に募っていきました。
答えを求めて耳を傾けた、先輩たちのリアルな経験談
周囲にも意見を求めました。
耳鼻咽喉科に進んだ先輩は、「喉頭の軟化症に対して、気管切開を選択することは一般的な治療の一つだよ。3-4歳くらいになって壁が安定したときに、無事に抜管できた子も見たことがある」と教えてくれました。しかし同時に、「ただ、その子その子によって最適な選択は違うから、娘さんにとってそれが絶対に正解とは断言できない」とも言われました。
また、職場の先輩に相談したときには、思いがけない告白を受けました。
「実は、うちの子も気管切開を受けたんだ」と。
先輩のご家庭でも、最初は気管切開を受け入れられず、1年間もの間、挿管チューブを入れたままで経過を見たそうです。しかし、最終的には気管切開を選択することになり、「あの悩んだ1年が本当に必要だったのか、今でも答えは出ない」と、当時の葛藤をリアルに語ってくれました。
調べれば調べるほど、人に聞けば聞くほど、正解がわからなくなる。
さらに、現実的な生活への恐怖も私たちを襲いました。医療従事者である私自身が、24時間人工呼吸器を必要とする娘を自宅で育てながら、今の仕事を続けていけるのだろうか。妻にすべての看病の負担がのしかかり、家族みんなが共倒れになってしまうのではないか。
理想論だけでは片付けられない、家族の人生をかけたあまりにも難しい選択を前に、私の心は限界まで揺れ動いていました。
「ただ、娘を抱っこしてあげたい」
そんな私の背中を、最後に真っ直ぐに後押ししてくれたのは、妻の一言でした。
「私、気管切開をしてもらうのでいいんじゃないかなと思う。だって、娘を抱っこしてあげたいもん」
その言葉を聞いた瞬間、ハッとさせられました。
口から挿管チューブが入れられ、テープで厳重に固定されている状態での抱っこは、万が一チューブが抜ければ命に関わる、極めて大掛かりで危険を伴う行為でした。そのため、娘を抱っこできるのは、月にわずか数回だけ。それも医師や看護師の厳重な見守りのもとでしか許されない、緊張の時間だったのです。
生まれてから3ヶ月。娘はずっとベッドの上で手を固定され、一人で戦っている。それなのに、私たちは親でありながら、満足に抱きしめてあげることすらできない。「1人じゃないよ」「大好きだよ」と、肌の温もりを通して、ただ当たり前の愛情を伝えてあげたい。
気管切開を行って、首からの管理に変われば、抱っこをするための医療的なハードルは劇的に下がると聞いていました。
難しい医学の論理や、まだ見ぬ未来への不安で頭がいっぱいになっていた私に、妻の言葉は「いま、娘のために一番大切なこと」を気づかせてくれたのです。娘に触れたい、娘をたくさん抱きしめて愛情を伝えたい。お母さんの強い愛がこもったその一言に背中を押され、私は気管切開を受ける決断を下しました。
外されたテープ。ついに逢えた、娘の本当の笑顔
手術の日を迎え、無事に手術室から帰ってきた娘の顔を見た瞬間、私たち夫婦、そして一緒に待っていたおじいちゃん、おばあちゃんは、心から安堵し、喜びが込み上げてきました。そこには、口元のチューブも、それを固定するために顔を覆っていた大きなテープもすべて外された、娘の本当の「お顔」がありました。テープのなくなった娘の顔は、本当に可愛らしく、そしてとても安らかな表情をしていました。
手術からしばらく経ち、ついに抱っこをすることが許されました。
以前のような張り詰めた恐怖感はなく、ずっと自然な形で、娘をこの胸に抱きしめるチャンスをもらうことができたのです。娘の小さな体の温もりを、肌で直接感じながら、何度も何度も愛情を伝える。その温かな時間を過ごしながら、「気管切開をして、本当に良かったね」と、家族みんなで笑顔で話し合いました。あの時、勇気を持って決断したことは間違っていなかったのだと、私たちは確かな幸せを噛み締めていました。
おわりに
主治医からは、娘の場合は喉の問題であるため、「しばらくすれば人工呼吸器を外し、人工鼻(じんこうばな)を使って自分の力で呼吸する生活も目指せる」という説明を受け、私たちはさらにその先の明るい未来へ向けて、前を向いて進み始めました。
しかし、一歩進めば、また次の新しい壁が現れるのが、医療的ケア児と共に歩む現実でもあります。
次回は、退院やこれからの在宅生活へ向けて、私たちが再び直面することになった「人工呼吸器との付き合い方」のリアルなプロセスについて、お話ししたいと思います。

